「才能とは、継続し続けられる情熱である」
nm15.hatenablog.com
ここで書いたように、「やりたいな」と思ったことには、どんどん手を出すようにしています。あれやってみよう、これもやってみよう、面白そうだ、という具合に。気になった状態のもやもやを頭の中に残しておきたくないんですね。
最初は楽しい
新しく始めることって、やることすべてが新鮮で、やった時間に比例して自分が上達するような気がして、すごく満足感も得られる。でも、何事もそうですが、「ある程度」のレベルにまでなってしまうと、そこからはなかなか前に進まなくなるんですよね。
新鮮で手応えもあって、楽しかった。それが、突然、ある段階から楽しくなくなってしまう。
やっていることは同じなんだけど、そのやったことに対して得られる感覚が全く違ってきてしまう。何をやっても新鮮で面白かったことでも、そのレベルのことを繰り返していると飽きが来るんですよね。たいがいはそこでやめてしまうんです。飽きてしまえばそりゃもう同じことをしてても楽しくない。楽しくないことは続かない。そうなんです、続かないんです。
そうしたら、また違うことに手を出して、ある程度は楽しんで、ちょっとしたらまた飽きる。2~3か月ぐらいしてから、ふと思い立ったようにもう一度手を出してみて、同じことを繰り返して、またやめて、を繰り返したり。
ある程度まで進んだ先の分岐点
僕は将棋が好きなんですが、その大御所である羽生善治先生が、こんなことをおっしゃっていました。確か、梅田望夫さんとの対談本「ウェブ進化論」の中だったかと思います。
将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています。
ある程度の段階までは、道筋も整っているし、新鮮さ・楽しさという原動力をもってあっという間に到達することができる。ただしそこからは、努力しないと、地道に続けていかないとその次には進めない。そういう段階がある。
ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/08/02
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好きだという思いが根幹
「超一流」=「才能」×「対象への深い愛情ゆえの没頭」×「際立った個性」
これもまたウェブ進化論からの引用だったと思います。(記憶違いだったら申し訳ありません)。超一流の方程式としてこのようにまとめられています。まあ、何も今回は超一流、ましてや一流になろうという話でもないのです。ただ、それでも、何をするにしても欠かせないものって、二つ目の「対象への深い愛情ゆえの没頭」じゃないかなと思うんですよね。
これまでいくつものことを手を出してはやめ、手を出してはやめ、を繰り返してきていたのって、そのこと自体を最終的に好きになれなかったからなのかもしれないなあと。もっと言うと、それをやることで得られる楽しさと続ける努力をする労力を比較したときに、「そこまでするほどのものじゃないなあ」と思ってしまっていたんじゃないかな。
それとは逆に、今続けられていること。例えばこのブログ。
書くのは、やっぱり大変です。自分の思いを表現するのが苦手で、あれこれ悩みながら書いてます。自分の意見を表現するということに対する恐怖感はあります。怖がってても仕方ないということは頭で理解してはいるものの、どこか頭の中にひっかかってしまうところがある。それ以上に、読んでくれる人がいるということが、また次を書こうという意欲につながります。自分が表現した何かが他の人に響いている、という事実が嬉しい。あとは、こんなのも記事にしましたけど、amazonのリンクから、あるいはアドセンスの広告から、ちょっとした収入という形になって返ってくるのもわかりやすくていい。
nm15.hatenablog.com
才能、際立った個性、という二つの要素も、このブログ林立時代においては重要な要素だと思います。ほかのとこと同じこと書いてたら、誰も読んでくれない。そうしたら自分が表現して、それを読んでもらえるという喜びもなくなってしまう。だから、この二つの要素についても、改めてしっかりと向き合っていく必要があります。
それでも、今自分が課題と感じているのは、続けるということ。うまく物事を継続できなくて、でも一方でなんとか続けたいとも思っていて。自分で考えるきっかけとして、こんな記事を書いてみました。