暮らし記

ふたり暮らしの記録。

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自然と「やりたい」欲が湧き出てくるタイミングを待つ

フルマラソンを走って一週間が経ちました。
次の日の筋肉痛のあまりのひどさに、こりゃ次に走れるまでは相当時間がかかりそうだと思ったのも今となっては遠い昔のことのようです。足の具合はずいぶん良いように感じます。そろそろ、「走りたいな」と足がうずいています。

フルマラソンを走るまでに、トレーニングメニューを考える参考にといくつかのランニングの本を読みました。フル後の過ごし方については、「2週間ほどは足を休める。その後、5kmのジョグなど軽いメニューから徐々に距離を伸ばしていく」というような経過が紹介されていました。疲労が抜けきらない中途半端な状態で走りを再開してしまうと、疲労が慢性的に蓄積されるようになってしまうんだろうなあ。

今日は一日家で過ごしていたのですが、「足が走りたがっている」と感じました。なんというか、足を動かしたくてたまらない気分です。突然じゃがりこを食べたくなるときの感じに似ています。わかりづらいか。とはいえ、まだ休んだほうがいいということはわかっていますから、走りたいけど走れない。俄然走りたくてたまりません。……そんな一方で、走らなきゃなあと思っているのに、気が乗らなくてどうも、というときもあります。

他のことだって同じです。本を読むのも将棋を指すのも、ギターを弾くのもペン字練習をするのも、ブログを書くのも全部同じです。どれもやりたくてやっていることなのに、どうにもやりたくないっていうときも存在します。

自然と「やりたい」欲が湧き出てくるまで、無理してやろうとしなくてもいい

何か目指す状況や目的があって始めたのに思うようにできなくて焦ることもあるんですが、そのタイミングがくるまでは無理しなくてもいいのかなーって思っています。というよりは、自然と「やりたい」って思うようにならないことを、無理して続ける必要もないんだろうとも思います。だって、楽しくないですもの。手に入れたいスキルやら何やらがあるのかもしれませんが、それはそれで、もう向いてないんじゃないかな、とも。「何事も縁」っていうように。


今回フルマラソンを走ってみて、走ることへの「好き」がさらに強くなりました。9月、10月はあまり走ることに積極的になれなかった時期でしたが、それも今から考えると必要な時期だったんだろうなと思います。あの時期は、体が固かったし、だるかった。運動不足を痛感した時期でした。

ペン字の練習も最近始めましたが、これまた幸運にも楽しく続けられています。「きれいな字をかけるようになりたい」という目標ありきだったので、続くかどうかが不安でした。が、どうやら問題なさそうです。字を書くということ自体も好きですし、まだ付き合いは短いものの愛着のある万年筆を使うことも嬉しい。また、佇まいを正して落ち着いて字を書くという、ある意味で儀式的な要素にも精神的な落ちつきを感じているのかもしれません。

自然と「やりたい」欲が湧き上がってきたら、集中的に取り組む

自然と「やりたい」欲が湧き出てくるタイミングがくれば、そのときに集中して取り組めばいいと思います。そうすればやる気はMAX状態、パフォーマンスは最高のものが出せます。そうしてがっつり取り組んだあとで、「やりたい欲」が収まってきたら、逆らわずにその状態を受け入れます。この状態で無理して続けたところで、「やりたくないのに、やらなきゃ」という心理では続きませんし、その行為自体を嫌いになってしまうことだってあります。またある程度の時期がたって「やりたい欲」が自然と湧き出てきたら、その欲にしたがって取り組めばいいわけです。

継続的にコツコツと、とは全く違ったやり方ですが、僕にはこれぐらいのゆるい方針のほうがやりやすいです。なによりこれが長続きするコツだと感じます。