暮らし記

ふたり暮らしの記録。

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「生きてるって感じるとき、何をしてる?」

ずいぶん久しぶりの更新となりました。まるっと3週間ですね。特別仕事が大忙しでといような更新できない事情があったわけでもなく、ただただのんびりと過ごしていました。もっと言うと、なんとなく過ごしていた、というか、おんなじような昨日と今日をひたすら繰り返していたような感じです。ただそこに置いてきただけのような、通り過ぎてしまったような日々でした。

生きてるって感じるとき

今回のタイトルは、大好きなアーティスト・坂本真綾さんの曲から。最新アルバム「FOLLO ME UP」の1曲目、"FOLLOW ME"の1節です。最後のサビに入る手前で、一呼吸おいてから、問いかけるように歌われるこの一言。最初に聞いた時はっとしたし、聞くたびに、耳に残ります。

FOLLOW ME UP

FOLLOW ME UP

生きてるって感じるときってなんだろう。ああ、生きててよかった。そう思えるような出来事。楽しい。嬉しい。幸せ。安心。驚き。充実。期待。興奮。きっと前向きなだけでなくて、悲しさや恐怖、いらいらのような、ひょっとすると後ろ向きな想いからだってそう思うことはあるのかもしれない。ちょっとやそっとの出来事では、そこまでは辿り着かないのかもしれない。あるいは、起こったことをどう捉えるかという、自分自身のあり方によって変わってくるのかもしれない。

感情の針が振りきれるとき

今日、ちょっといいランチを食べました。理由は特になくて、午前中の仕事が切りよく片付いたからとか、オフィスから出たら天気が良かったからとか、朝ごはんを食べていなくてお腹が空いていたからとか、そんなものです。

食べたのは、1,500円のカマトロ丼。やっぱりランチに1,500円は勇気がいります。注文する前にちょっと躊躇います。食べたいと思ったんだし、たまにはいいじゃないか、えいやっ、と頼んだわけでした。ただ、これが本当に美味しくて。ちょっとだけ炙られたカマトロ。一口目を口に入れた瞬間からもうずっと針が振りきれたような感じで。一口目から食べ終わるまで、にやにやしてたと思います。美味しかったなあ。

これぞまさに、というぐらいの「生きてるって感じるとき」でした。こんなに感動するような食事は、長いこと味わっていませんでした。感動。驚き。刺激。感情の針が振れるとき、あるいは振り切れたときが、そうなのかもしれません。

自分が撮った写真を褒められて嬉しかった時。車に轢かれかけたあとで自分がちゃんと五体満足であることに心底安堵したとき。真綾さんのライブに参加して言葉に表せないぐらいに幸せな気持ちになったとき。美味しいカマトロ丼を食べて感動したとき。

何をしてる?

ふと気が付くと、ぼんやりと毎日を過ごしがちなところがあります。疲れてくると何か新しいことをしようとはなかなか思えなくなってきて、結果として、昨日も今日もおんなじことを繰り返す、色味のない日々が出来上がってしまいます。

ランチの例でいえば、毎日同じところで同じものを食べていれば、余計なエネルギーを使わなくて済む一方で、新しいメニュー、新しいお店を開拓しない以上、今以上の「美味しい」という体験はできないわけです。さらにいえば、毎日同じものを食べていれば、きっとそのうち飽きてきます。飽きてくるけど、毎日毎日同じものを食べ続けてしまうんじゃないかな。「あきたなあ」って言いながら。同じものを食べているのに、どんどんそれを「美味しい」とは思えなくなってきてしまうような気がします。

「昨日も今日も同じだ」「退屈だ」って嘆くんじゃなくて、自分自身で刺激を見つけて、少しずつ変化していきたいなあ。たぶんそれが「生きてる」って感じられる日々を過ごすためのやり方なんだと思います。仕事だらけの日常に流されないで、毎日を丁寧に生きてみる。言うは易し、ですね。

余談1

記事のタイトルにも使わせていただいた"FOLLOW ME"。アルバムのタイトルもそうだけど、「私についてこい!」って。その中にある「生きてるって感じるとき、何をしてる?」の歌詞。「私についておいでよ」「一緒に楽しもう」って言ってくれているような気がします。ふわっとしたやさしさを感じる曲調なのに、ぐっと引っ張られるような力強さを感じる曲です。一人のファンとして、まだまだずっとついていきます。

余談2

大好きな坂本真綾さんが、以前何かのインタビューでこんなことを話していたような…と思って探してみたら、ありました。15周年のときのインタビュー記事。ちなみに、坂本真綾さんは今年がデビュー20周年目になります。

15周年記念ベスト・アルバムを発売するにあたって、たくさんのインタビューを受ける機会がありました。そのたびに「どこが変わったか」「どこが変わってないか」という質問を何十回もされてきたのですが、結局自分ではあんまりよくわからなかった。だって私にとってこの15年は連続した時間の中の出来事で、デビューした日から今日まで毎日毎日、私はずっと私だったのだから。
http://www.cdjournal.com/main/special/sakamoto-maaya/533/6

人間の顔も生き方や考え方によって刻々と変わっていくもの。とは言えもちろん別人には絶対にならないわけで、メイクの流行が変わったり歳をとってしわが増えたりしたとしても、永遠に変われないベースが存在する。それと同じように、一見なんの代わり映えもしない日々を淡々と生きてきたつもりでも、さまざまな出来事や出会いによって私は日々刻々と変わり続けてきたのでしょう。そしてやっぱり変わらないベースも、持ち続けてきたのでしょう。
http://www.cdjournal.com/main/special/sakamoto-maaya/533/6

もう6年も前の記事です。残っているものなんですねえ…。