読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書きたいことは何だろう。

思いつくままに好きなことを書き溜めるだけ。

MENU

「大丈夫、どうせ死にはしない」が怖い

「大丈夫、どうせ死にはしないんだから」
「どうせ1年後には忘れているんだから、思い切ってやってみよう」

この言葉がとても怖い。

と思うようになったのはつい最近のこと。それまでは、何かをするたびに、しょっちゅうこの言葉を心の中で唱えていました。中学、高校のころ。結構、助けられた場面は多かったように思います。

「やる理由」

当たって砕けろって言葉、「砕けたくないけど、砕けてもいい」ってぐらいの思いでとにかくやってみろ、ということだと捉えているのですが、これに近いニュアンスで、「大丈夫、どうせ死にはしない」を使っていました。

当たって砕けろだと、そうはいっても砕けたくないじゃん、って考えてしまうのですが、死にはしないだと、そうか、死にはしないんだ、なら大丈夫、っていう、ちょっとした謎の安心感がありました。

特に、何か「やってみたいけど、恥ずかしい」ことをするときに、一歩踏み出す勇気をくれた言葉でした。

  • あの人に話しかけてみたいけど、恥ずかしいなあ。…でも、声かけてみよう、だめでもどうせ死にはしないんだから。
  • このお店に入ってみたいけど、敷居高そうだし、躊躇うなあ。…入ってみよう、場違いで恥ずかしい思いをしても死にはしないんだから。

いいじゃん、やってみなよ。ぐらいの軽い気持ち。

「やらない理由」

それが、大人になるにつれ悪い心が芽を出すにつれ、だんだんこの言葉が悪い方向に作用するようになってきました。

  • この課題大変だなあ…ちょっとぐらい遅れても大丈夫でしょ、どうせ死にはしないんだから。
  • 次の集まり、気が重いなあ…今回はいかなくてもいいか、どうせ死にはしないんだから。
  • めんどくさい…別にやらなくていっか。死にはしないし。

一度こうやってさぼって「あれ、意外と平気なんだ」と味をしめてしまうと、自分一人ではなかなか止めるのが難しくて、麻薬みたいなものだなあと思います。どんどん自堕落になって、自己管理が全くできなくなっていた時期もありました。

特に大学生ってなんでもできて、何をするにもしないにも、自分の自由というところがありますよね。自己責任。何かを「しない」理由として、大活躍でした。

死にはしないけど…

何かをしようともしなかろうとも、死にはしません。並大抵のことでは死にません。でも、それがどうしたのか。死なないけど、それでいいのか、という問題ですよね。

死なないけれど、何かしら自分の生活には影響を与えます。やるべきことをしなかったのであれば、きっと何かしらよくない影響があるでしょう。周囲からの評価が下がる、信頼されなくなる、大学生であれば単位を失う、最悪留年、あるいは卒業できなくなるかもしれません。もちろん、それでも死にはしません。僕は会社で仕事をしているので、上司からの評価が下がり、給料が下がり、最悪仕事を失うかもしれません。もちろん、それでも死にはしません。…でも、それでいいのか。

何かをするときしないときの理由に「死にはしないから大丈夫」をもってきてしまうと、少しずつ少しずつ、悪い方向へ進んでいくような気がします。将棋盤の隅っこに追い込まれるような。自分で自分の首を絞めるような。無味乾燥な、色彩のない生き方は、したくない。

どうせなら楽しく過ごしたい、と思ったときに、「大丈夫、どうせ死にはしない」という言葉のある種投げやりなニュアンスは、あんまりプラスには働かないのかな、と思います。自分から「やりたい」「やろう」「やってやる」と思って行動できるのが、一番ですよね。その考えすらなくなってしまうのが怖いところです。


仕事をしている今でも、ふとしたときにこの言葉が頭に浮かんできます。ですが、今では逆に、この言葉が浮かんで「やりたくないなあ」って思ったことこそ、優先度を上げて手を付けるようにしています。本当にやりたくないこと、やる必要のないことはやりませんが、その判断もまた難しいところです…。


自己管理は永遠の課題ですね。心に余裕は持ちつつも、自分自身に油断しないように気を付けたいものです。